古くはアジアだけで栽培、食されていた大豆
大豆の起源地の中でも資料が残っており、古代の栽培の様子がわかっているのは中国の周王朝時代(紀元前11世紀)です。周王朝時代の大豆の生産地域は既に大きく広がっていて、東北地方、黄河流域地方、長江流域・華南地方の3地域でそれぞれの風土にあった耕作方式で栽培されていました。東北地方は最大の生産地域であり穀類との輪作方式で栽培されていました。黄河流域の北部では一年一作方式、南部では小麦栽培の後に大豆栽培が行われていたことなどがわかっています。そうして紀元前4世紀の中国では、粟とともに大豆が主食として利用されていたことが多くの文献に記されています。
朝鮮半島では大豆が栽培され利用されていた記録として3世紀中期のものが最も古いとされていますが、紀元前3世紀にはすでに中国との交流があったことから、さらに古くから大豆とは関わっていたとも考えられます。
日本ではじめて大豆のことが記された文献は「古事記」(712年)と日本書紀(720年)ですが、弥生時代の複数の遺跡から大豆が出土していることから紀元前より大豆が栽培・利用されていたと思われます。「古事記」と「日本書紀」の中では「大豆は日本古来の五穀の一つ」として記され、五穀をつかさどる「おおげつひめ」が「すさのおのみこと」に大豆を与えたという神話もあります。
インド、ネパール、インドネシアなどでは文献としては残っていませんが、古くより、テンペ、キネマのような大豆発酵食品が食されていたことがわかっています。